2010年01月10日

光秀−「本能寺」直前の不審な行動−信長メモ5

明智光秀、「坂本在城10日間と、愛宕山連歌の会」の謎
本能寺の変について、とりとめのない思いを記せば、光秀の行動に不審がある。

5月17日、坂本入城後、彼は10日間、そこに在城するが、その間の消息が不明という。10日間と言えば、かなり長い。その間、光秀は、いったい、何をしていたのか。何とも不審ではある。

そして、5月26日、光秀は、自分の、もう一つの居城、丹波の亀山に、ようやく移動するが、すぐに翌日、愛宕山(神社)に参詣するとともに、さらに翌日(5月28日)、そこで連歌の会を主催している。

これが先ずは、筆者には不思議に思えてならない。

歴史を変える大事、しかも自分が逆臣の汚名を着ることが明らかな大事、その決行迫る直前に、連歌の会を主催とは、何ともまあ、暢気なことを、と思う。

と、ともに、会を主催というが、ならば、そこに参加した、紹把らの歌人たちは、もっと前に、光秀から、参加を懇請され、招待されていたということだろう。だからこそ、当日、山登りして、愛宕山に参集できたわけだ。2、3日前の呼びかけでは、当日、連歌の歌詠みたちが、集まれるかどうか、会が開けるかどうか、わからないではないか。それは、通信手段が極めて発達した、現代とて同じこと。

すると、愛宕山の連歌の会のセッティングは、何と、坂本在城中に行なわれたことになるわけだ。

中国出陣を控えた光秀、いやさ、主君襲撃を控えた光秀が、坂本在城中に、愛宕山での連歌会の手はずを整える−−これは、いったい、何を示唆するのか。

それともう一つ。愛宕百韻と称される、この会で、光秀が詠んだ「ときは今天が下しる五月哉」なる歌が、謀反の意思を示唆したもの、と、解釈されている。有名な解釈だ。

これもおかしいと思う。

いくら存知よりの歌人たちとはいえ、腹心の部下でもない、どこで誰とつながっているかわからない人たちの前で、渾身、背水の大事決行直前、謀反の意思を示唆する、と思われてしまうような歌を詠むことで、己が陰謀を、わざわざ外部に知らせてしまう。そんなことをするわけがないではないか。

「坂本在城10日間と、愛宕山連歌の会」−−本能寺の変直前の、光秀のこの動きが、不思議でならない。。。
posted by somo at 13:02| 信長メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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