2011年07月25日

東京オリンピックと新幹線、青春歌謡と純愛

東京「オリンピック」開催、東海道「新幹線」・名神「高速道路」の全通、などなど、日本「初」尽くしの時代。

そんな中でも昭和39年の日本は・・・昇竜の如し・・・そんな年だった。

東京・大阪間、6時間との触れ込みの、画期的な「ビジネス特急・こだま」が評判になり、先生が引率して児童たちが社会見学に行ったりしたのも、つい数年前の出来事だった。それが、一気に3時間10分に短縮する新幹線の開通が真近。

S39、夢の超特急・試運転ルポ、ドキュメント.JPGまた、当時はまだまだ環境的に、マイカーなどとは無縁だったし、少年だったから、高速道路の便利さなど、実感的にわかるわけではなかったが、新聞とテレビの報道は、オリンピックに向けて、日本が急速に、ぐんぐん発展しつつある、といった印象を、少年に与えるに充分なものだった。

高校が夏休みになった。クラブ活動の合宿が行われ、それに参加したが、夜の寝る場所は校舎内教室だった。夜間、銭湯での入浴と食事を済ませたあと、寝る前のひと時、なにやら外で、にぎやかな音楽が聞こえる。何かと思って、みんなで校舎屋上への階段を駆け上って街を見渡すと、どこやら近くで、盆踊りの真っ最中。その音楽だった。三波春夫の『東京五輪音頭』−これが周囲を圧して鳴り響いていたのだ。

オリンピックへ、オリンピックへと、日本中が一直線に猛進していた時期であった。

一方、オリンピックブームとは直接には関係ないものの、繁華街では、巨大な地下ショッピング街が建設され、その地下街と周辺に流れるオープン記念の歌謡曲は、その町の大繁華街誕生の祝賀ムードを、いやましに盛り上げるものとなった。その歌は−梶光夫と広瀬みさの青春歌謡、『いつも二人で歩く街』−であった。個人的には、こうしたことも、世の中の怒涛のような発展、当時の人々の高揚感などといったものと、雰囲気的に一体のものとして覚えているのである。

ところでこのころ、本の世界では、今では考えられないほどの、純愛ものブームが湧き起こっていた。『若きいのちの日記』『愛と死をみつめて』を中心に、書店店頭は、純愛ものが汗牛充棟の観を呈していた。やや遅れて追随した『わが愛を星に祈りて』を含め、この、大島みちこと佐伯浩子らの本は、映画化・テレビ化・歌謡化のメディアミックスを具現することで、どの本をも、ベストセラーレベルに押し上げたようだ。

こうした、本における純愛ものブームは、当時の歌謡界における、いわゆる御三家を基幹とする青春歌謡ブームと、おそらく本質的に一体のものだったのだろう。そして、あたかもロウソクの火が燃え尽きる直前に、一瞬激しく燃え輝くのと同様、純愛ものと青春歌謡ブームの盛行は、戦後の復興なるレベルを、はるかに超える高度成長へと駆け上って、わが国が大きな変貌を遂げる、その直前、古き良き時代の日本の総まとめとして顕れたもの、そのように、今では思える。

S39・8、明星の広告、連結、ドキュメント.jpgそして夏から秋へ、西郷輝彦の『十七才のこの胸に』や、橋幸夫の『恋をするなら』、そして舟木一夫の『花咲く乙女たち』などが流れる季節、歴史的な東京オリンピックは開幕、熱狂の渦が広がっていったのだ。


昭和39年前後−それは、短くも、熱く、若い時代であった。

S39、聖火、アテネを出発、ドキュメント.JPG

※画像はすべて、昭和39年の読売新聞の切り抜きから。
posted by somo at 23:21| Comment(0) | 昭和全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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