2007年03月12日

少年雑誌のコミック化

よく学校で相撲をとって勝ち負けを競っていたUの自宅に、放課後、遊びに行った。小学校5年生のころ、と言えば、昭和34年ごろのことになる。

そこでUが見せてくれたのは、2冊の創刊誌で、週刊少年マガジンと週刊少年サンデー。2冊とも、初の少年週刊誌で、同時創刊だったようだ。

「スポーツマン金太郎」という漫画が、どちらにだったか忘れたが、載っていた。バットを持って鉢巻をした桃太郎も又、そこの登場人物であったのを覚えている。漫画だけではなく、読み物も多く、半々ぐらいだったか。しかも、厚さが、極く薄いものだった。

このころは、少年誌にしろ少女誌にしろ、まだまだ、読み物主体か、読み物ページと漫画ページが半々ぐらいか、といった構成だった。少年誌から読み物が消えて、全編、漫画(コミック)のオンパレードになったのは、'70年代から'80年代だったろうか。

そして、少年少女誌が、すっかりコミック化して、分厚くなって、それが当たり前になったころ、どこかの出版社が、自社のコミック(少女)誌創刊の宣伝をしていた。

高校などの学校付近・通学ルートに見かける、大きな広告ボードに、女生徒目当てで、その出版社が表現したのは、『私の文学はコミックです』とか言うキャッチコピーの広告だった。

『私の文学はコミックです』−−それは、例えば、「読書の時代から視覚の時代へ」、といった時代転換、また、ひとつにはテレビ(動画)の普及がもたらした重要な影響とかを、象徴する言葉のように思えた。世の中、そこまで行ってしまったか。。。と。


※これに対し、どこかの学校からか、あるいは複数の学校からか、抗議が出たため、学校付近の広告ボードからは、その広告を外さざるを得なかった、ということがあったらしい。学校現場で読書指導をしている先生方からすれば、差別語やエログロとは違うけれど、生徒が使い出すようになった場合、困ってしまうような言葉だったのだろう。
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