2007年03月28日

2度と行きたくない!防空壕探検隊

近所の少年たち、10数人。知ってる奴もいれば、付き合いのない奴もいる。筆者より年長が大半。昼間だったが、手に手にたいまつを掲げ、中には懐中電灯を持っている者もいる。小学校中学年から中学生ほどの年齢の者たちだ。

裏山のふもとに、口を開けている防空壕を探検するのだ。

「たいまつの火が、防空壕内のメタンガスに引火して爆発するんじゃないの?」との筆者が口にした心配に、

「お前馬鹿か。ガスがあったら、火が消えるんだよ!」と、中学生から一喝されて、分からないながらも納得させられた。

開口部から入る。

中は、みんなのたいまつの火で明るく、人1人から2人ほどが並行して進める程度の道幅。ただし壕内の道は一本道ではなく、ところどころで、別の道が、黒々と口を開けていた。

どっちへ行くかは、中学生たちが相談し合って決めた。

滞在時間が、かなり延びたころ、たいまつが無くなった時のことを考え、年少者が、震え上がって言った。

「ど、どうするの?」
「予備があるから大丈夫だ」

四角い池のような場所が、道のあちこちにあった。水が溜まっていたのだ。何なのかは分からなかったが、何らかの人工的な凹部に、地下水が溜まったことだけは分かった。

「戦中の井戸かな? 気を付けろ!深いかも知れないから」と、リーダー格が注意を呼びかける。

探検隊は、お互い掴まりながら、池もどきを、恐る恐る避けつつ、先へ進むのだった。

防空壕が、いったいどこへ通じているのか、どこへ出られるのか、戻らなければ外へ出られないのか、そうしたことを、このとき、誰かが果たして知っていたのだろうか。

とんでもないことをしてしまった。。。闇の中から外へ出られなかったら、ど、どうしよう。これが筆者の内心だった。

ところが、行く手に、突然、日の光が見えた。別の開口部近くに到達したらしい。

「ギャーッ」
誰かが悲鳴を上げて、体を払った。たいまつが壕の天井部を照らした。

見上げると、天井部一面を、びっしりと埋める、ゲジゲジ、ムカデの群れ。それが、ポトポト、みんなの頭、体に落ちて来ている。おまけに、下を見れば、やはり天井と同じ、ゲジゲジ、ムカデが、地面を埋めている。

さすがに悲鳴が続いた。

なぜか、この場所だけが、こうした状態だったのだ。

幸いにも、外へ通じる狭い開口部が直ぐで、中学生たちも、「小学生から先に出ろ」と言ってくれたので、ほうほうの態で、外へ抜け出した。陽光を浴びて、天国に来たような幸福感に浸ったものだ。
ラベル:防空壕
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2007年03月21日

肥溜めと戦争遺跡−終戦後の子ども

昭和20年代の終わりごろか、30年代の初めごろか、家は、旧兵舎の給食場の建物だった。そのそばには、木造の旧兵舎そのものがあって、終戦後は、小学校の分校として使われていたが、筆者の小学校入学ごろには、すでに、空き建物として、放置されていた。

近くの畑の中に、コンクリで出来た、丸いドーム状のものがあった。

筆者が「あれ何?」とでも聴いたのだろう、父が答えた。「トーチカ。あの中から、兵隊が鉄砲を撃つんだ」

今思えば、本土決戦用に築かれたものだったのだろう。

そのトーチカのある畑と、家を挟んで、反対方向に、また畑があって、これまた、トーチカがあった。しかし、これは、上部の丸屋根が破壊されていて、お百姓さんの畑の肥溜めとして使われていた。しかもその肥溜め自体もあまり使われなくなったらしく、肥やしが固まってしまっていた。といっても、内側はやわらかく、乗っかれば、ズブリと沈んでしまう。

ある時、近所の友達数人と、鬼ごっこか追っかけっこをしていて、畑じゅうを走り回っている最中、その肥溜めにハマってしまった。ズブズブと、腰の辺りまで沈んでしまい、必死の思いで抜け出したものの、肥やしにまみれて、母に叱られたことがあった。

終戦から、たかだか10年前後。防空壕だの、兵舎やトーチカだのの、戦争の遺跡が、まだ、ここかしこに残っていた頃のことだった。
posted by somo at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和少年の遊び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月15日

紙芝居が来た!!

紙芝居屋サイズ70docu.JPG


今思うと、週に一度だったか、紙芝居屋が来た。

カチ、カチ、カチ、という、拍子木の音が、紙芝居屋が来た合図だった。その音が、あたりに響きだすと、周辺に散らばって遊んでいた子どもたちが、それまでの遊びをかなぐり捨てて、音が鳴る方向へ、わらわらと走っていく。

週に一度とか、何曜日とかのサイクルが、未だよくは分かっていない年頃だったので、拍子木が鳴らない日は寂しく、毎日、心待ちの状態だった。

場所は農協の空き地(農協のことを、親は戦時中の呼称を引きずっていて、農業会と呼んでいた)。

紙芝居屋のおじさんが、その空き地に止めた自転車の荷台には、3、4段の引き出しを仕込んだ木箱が載せてあり、それが紙芝居の台にもなっていた

タダでは見られなかった。引き出しの中の駄菓子を買った者だけが、紙芝居を見られる。

ある時、いつも水あめばかりでは飽きたので、みんなが買っている、梅ジャムが欲しくなった。それで、「梅ダマちょうだい!」と、おじさんに言ったら、おじさんにも、周りのガキどもにも、大笑いされた。商品名を聞き違っていたわけだ。

おじさんは笑い顔で、「梅ジャムね」と言って、筆者の手のひらから20円を取って、梅ジャムをくれた。

顔が、カーッと、ほてった、この梅ダマ事件は、今でも明瞭に覚えている。※上のヘタな絵は、筆者(somo)・画。
ラベル:紙芝居 昭和
posted by somo at 04:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和少年の遊び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

昭和少年の遊び

子どもの遊び方を比較することにより、「古今子ども論」というものが出来るように思える。

考えてみると、昭和30年代は屋外、野外の遊びが多いのではないか。

それに、純然たる子どもの遊び、というのがほとんどだ。

(今は、例えばテレビゲームや携帯ゲーム、インターネットなどがあるが、この遊びが、今の「子ども遊び・娯楽」のうち、相当なシェアを占めよう。しかも、これらは大人も子どもも遊ぶ)

子どもと大人という区別が明確だったのは、昭和30年代から40年代前半(いわゆる'60年代)までということか。。。

筆者が遊んだ覚えのある遊びのうち、思い付くままに、思い出せるままに、当時の遊びを、説明抜きで列挙してみた。

今は、空き地、裏山、野原などが無くなったせいもあるが、その今と較べると、昭和30年代は、何と屋外、野外の遊びが多いことか。


屋外遊び仲間など、主に複数

亀の甲合戦
二重合戦
缶蹴り
鬼ごっこ
母艦水雷
達磨さんが転んだ
グリコ、チョコレート、パイナップル
隠れんぼ
ジック(釘を地面に 突き刺す遊び)
メンコ
水切り(小石を投げて、水面でジャンプ)
ベーゴマ
独楽回し
凧あげ
セミ採り・トンボ採り
相撲
スイカ割り
野球(&ソフトボール)
ドッジボール
ヒーローごっこ(刀・拳銃・覆面・マフラーなどなど)
チャンバラ
陣地作り(山中、野原での)
駄菓子屋通い
防空壕(洞穴)や山の探検
ゴム銃(パチンコ)遊び
魚採り・ザリガニ採り
紙芝居(物語+駄菓子)
アケビ、ヤマイチゴ、ニッキ採り
縄跳び


屋内遊び

1人
工作(船・飛行機の模型や、付録の組み立て)
少年雑誌、学習雑誌を読むこと(物語、漫画、付録を含む)
おまけ付き菓子などの、おまけ集め
ラジオ・映画・テレビの視聴

仲間、家族など、複数人数
カルタ取り
双六
トランプ
紙相撲
野球盤


以上だが、筆者の個人的・地域的記憶が出典、としておこう。
ラベル:遊び 子ども 昭和
posted by somo at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和少年の遊び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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