2012年09月19日

紅孔雀、そうめん、夏の夕方

紅孔雀、Image9.jpg笛吹童子、Image8.jpgある夏の夕方だった。暑さもやわらぎ、さわやかで、まだ明るかったが、母が、そうめんを夕食に出した。赤や緑のめんが、数本入っていて鮮やかだった。ラジオからは、紅孔雀の主題歌が流れていた。

なぜか、このことを印象的に覚えている。

紅孔雀の歌の初め、「まだ見ぬ国に住むという」を、「マダミの国に住むという」と覚えていたものだ。

これより先に、笛吹童子をやっていたらしいが、なぜか聴いた記憶がない。

このあと、オテナの塔、七つの誓いまで、ラジオに耳を寄せて聴いた。

映画には、父に連れて行ってもらったのかもしれないが、どうも記憶がない。その後、さらにテレビ放映があったが、ほかに見たい番組があったのかどうか、連続では見ていなかった。

しかし、「メンコ」の絵を真似たり、父に教えてもらったりで、那智の小四郎、風の小六、浮寝丸などを絵に描いたりしたことを覚えている。
(写真上は『紅孔雀』、下は『笛吹童子』)
ラベル:紅孔雀
posted by somo at 22:06| Comment(0) | 昭和少年・テレビと雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

戦国時代劇と特攻ドラマ

戦国時代劇と特攻ドラマ
「若いいのち」
w若いいのち.JPG「青春をぶっつけろ!」と同時期の放映で、他チャンネルだったが、それぞれが、夜7:00からと同7:30からの30分番組だったので、続けて見ていた。

江田島・海軍兵学校における生徒たちの、散り行く前の青春を描いたドラマ。

近年のこの手の戦時ドラマと違って、お定まりの政治的・思想的解釈などが織り込まれていない、素直な、気持ちの良い描き方だったように思う。

主題歌は、梶光夫。

「1、若いいのちの 篝火(かがりび)たいて ともに叫んだ 青春の やるせないよな 夜の唄 桜花なら はらりと散ろう ああ 青春 雲の流れ」


「白馬の剣士」
夜7:00からの1時間枠で放映された戦国時代劇。

大阪夏の陣で豊臣秀頼が敗れ、豊臣家は滅亡した。その大坂落城直前、秀頼の密命を受けた、側近の若武者2人。秀頼の遺児を護り、亡君の仇、徳川家康討伐のため、2頭の白馬にまたがり、野武士の騎馬集団を率いて活躍する。web用・白馬の剣士(テレビドラマ全史から写真のみ).JPGとにかく、面白さと迫力では、今の大型小型の各種時代劇の比ではなかった。確か同じころだったが、「戦国群盗伝」というのもやっていて、少し見た記憶がある。

それも含めて、このころの時代劇の迫力の秘密は、一つには、大量の騎馬群の集団行動、集団戦闘が、随時盛り込まれていた、ということかもしれない。

お金もかかるからか、近年の時代劇には、NHK大河や年末年始時代劇を含め、それはほとんど見られない。つまり、スタジオセットで処理できるような、あえて言ってしまえば、安易なものが大半だ。

「1、鞭を上げれば 嵐を起こし 剣を翳せば 雲を呼ぶ あれは疾風か 稲妻か あぁ〜 あぁ〜 花の若武者 颯爽と 今日も行く行く 地平線」

3番まである主題歌からして、勇気の湧く歌だった。

2007年03月19日

青春テレビ映画の影響と昭和少年

真理 人生 ああ青春
高校時代、進級で、クラスも教室も変わっって、そう経たないころだったろう。教室で、Iが、「あっ、これ知ってる、これ知ってる!」と、自分の机を指差しながら、嬉しそうな声をあげた。

学校の机は木製だ。そこに、コンパスの先やボンナイフで、生徒たちが傷を付け、言葉を彫り付ける。むかしは、当たり前のいたずらだ。それら、過去に彫られた言葉の一つを、Iが指摘しているのだった。

そばへ寄って、のぞき込めば、筆者も先刻ご存知の言葉が、机の表面、隅に有った。

「真理 人生 ああ青春」

そう、『青春をぶっつけろ!』の主題歌中の言葉で、当時の感じやすい年頃の少年たちの、胸に刻まれたフレーズだ。

春、始業式以前に、その机を与えられていた、別学年の生徒が、そのテレビドラマの影響を受けて、彫り込んだものであることは、明らかだった。

きのう見つけた 机の端に 誰が書いたか 三つの言葉
「真理 人生 ああ青春」
刻んだ奴の 心根が 今しのばれて 我が胸の
ああ我が胸の 血がたぎる


(はざまたけし作詞  いずみたく作曲)

この主題歌の内容そのままを、真似した生徒がいたわけだ。その生徒も、どうでもよければ、机に刻み込んだりはしないはず。それこそ、そいつの心根がしのばれるというものだ。

なお、『青春をぶっつけろ!』は、はち切れんばかりに元気な大学生たちの青春を描いた、7時30分からの30分もの。今は高校でも大学でも、ほとんど見られなくなった、学帽・学生服姿だった。
ラベル:青春 テレビ

2007年03月12日

少年雑誌のコミック化

よく学校で相撲をとって勝ち負けを競っていたUの自宅に、放課後、遊びに行った。小学校5年生のころ、と言えば、昭和34年ごろのことになる。

そこでUが見せてくれたのは、2冊の創刊誌で、週刊少年マガジンと週刊少年サンデー。2冊とも、初の少年週刊誌で、同時創刊だったようだ。

「スポーツマン金太郎」という漫画が、どちらにだったか忘れたが、載っていた。バットを持って鉢巻をした桃太郎も又、そこの登場人物であったのを覚えている。漫画だけではなく、読み物も多く、半々ぐらいだったか。しかも、厚さが、極く薄いものだった。

このころは、少年誌にしろ少女誌にしろ、まだまだ、読み物主体か、読み物ページと漫画ページが半々ぐらいか、といった構成だった。少年誌から読み物が消えて、全編、漫画(コミック)のオンパレードになったのは、'70年代から'80年代だったろうか。

そして、少年少女誌が、すっかりコミック化して、分厚くなって、それが当たり前になったころ、どこかの出版社が、自社のコミック(少女)誌創刊の宣伝をしていた。

高校などの学校付近・通学ルートに見かける、大きな広告ボードに、女生徒目当てで、その出版社が表現したのは、『私の文学はコミックです』とか言うキャッチコピーの広告だった。

『私の文学はコミックです』−−それは、例えば、「読書の時代から視覚の時代へ」、といった時代転換、また、ひとつにはテレビ(動画)の普及がもたらした重要な影響とかを、象徴する言葉のように思えた。世の中、そこまで行ってしまったか。。。と。


※これに対し、どこかの学校からか、あるいは複数の学校からか、抗議が出たため、学校付近の広告ボードからは、その広告を外さざるを得なかった、ということがあったらしい。学校現場で読書指導をしている先生方からすれば、差別語やエログロとは違うけれど、生徒が使い出すようになった場合、困ってしまうような言葉だったのだろう。

2007年03月06日

少年・戦記ファン−テレビ『太平洋戦争』

Kという級友が、学校に、少年ブックだか、冒険王だかを持ってきた。あるページに、海戦の戦記物語が載っていて、的から外れた艦砲弾が、海上に大きな水柱を、何本も立てている、小松崎茂の挿絵が目を引いた。

筆者は子どものころ、戦記ファンで、特に、海戦や軍艦に、ご執心の少年だった。上の体験がキッカケになったのか、その後、『画報戦記』や『丸』を、わくわくするような気持ちで、定期購読したものだ。

テレビも、戦記フィルムが放映されるような番組は、好んで見た。その中に、連続番組として、『太平洋戦争』というのが有った。

『太平洋戦争』は、昭和35・6年頃の、夕方6時台、30分番組で、10チャンネル(日本教育テレビ=NET)だったか・・・(なお、ネットを検索してみたが、この番組についての情報は、全く得られなかった)。

これは、戦記フィルムや写真映写の合間に、旧軍や、兵器製造関係者など、ゲストの証言、座談を入れて、特定の作戦や戦闘、軍用機・軍艦製造などの一端を明らかにしていく番組だった。そう、今と違って、その頃は、終戦後わずか15・6年、戦前派、戦中派の、体験者には困らなかった時代だ。

今思うと、右とか左とか、好戦や反戦といった、時流に乗った政治性は全く感じられなかった。むしろ、しごく真面目で、地味な番組だったのだ。

そんなわけで、当初、全編が、太平洋戦争の記録フィルムだろうと、期待して見始めたために、証言や体験談を語る冗長な内容は、子供心には、裏切られた思いもあったものだ。

しかし、そうは言っても、タイトルバックは最高であった。

軍艦マーチが流れる中、連合艦隊が、艦列を作って洋上を進航する雄姿。それを、正面から撮影した記録フィルムの映写。これは当時の少年戦記ファンの心を、しびれさすに十分なものがあったと思う。カッコイイ!! というやつだ。

ただし、錯覚し勝ちなことがある。艦隊の進航に合せて、軍艦マーチが流れる、ということについてなのだが。

今のビデオなどと違って、戦前は、被写体、および、その周辺が発する音声を、撮影と同時の直接録音など出来なかった時代なのだ。だから、軍艦マーチの演奏を、番組制作過程で、記録フィルムに重ね合せたか、または、すでに、そのように出来上がっていた戦前の、編集されたニュースフィルムなどの一部を使ったか、そのどちらかだったのだろう。

それはともかく、中身の構成は、今でも有りふれたものなのだが、番組開始時のタイトルバックの、毎週の、このスタイルは、今のテレビ局には、決して出来ないものだと思う(もちろん技術的に、という意味ではない)。

記録フィルム映写時のナレーターと、座談の司会を、芥川隆行が勤めた。

我が家では、10チャンネルの映りが悪く、やきもきした覚えがある。

2007年02月21日

少年向け 連続テレビ映画3

『風雲真田城』

(TBS、昭和39年9月〜40年7月)

『高杉晋作』のあとは、『風雲真田城』が、午後6時台に放映された。

真田幸村ファンたる筆者としては、こりゃ、見なきゃとばかり、見続けたものだ。

関ヶ原戦以後、嫡男・信幸の、徳川への取り成しが奏功したため、命だけは助けられて、高野山麓の九度山に蟄居になった、旧豊臣大名・真田昌幸と、子息の幸村。その九度山の陋屋(ろうおく)を拠点にした、「徳川打倒への再チャレンジ」活動の物語である。。これは、大坂冬の陣における、大坂城の出城たる真田丸での、真田隊の奮戦までを描いていた。

猿飛や霧隠などの忍びや、真田十勇士に名を連ねる連中、また徳川方の忍びも多く登場し、当時の忍者・忍法ブームにあやかって、その手の見せ場が多かった。

ただ、講談的な、通俗の常識からすると、霧隠才蔵も幸村の配下のはずだが、そうはなっておらず、敵であり、何かのきっかけで、真田に味方する、といったように描かれていた。

特に目立ったのは、かなりひねくれた、虚無的、ニヒリスティックな人物として、それゆえに、真田に対する「批判者」として、霧隠が描かれていたことだ。このあたりは、筆者の、この真田ものに期待したイメージに、全くそぐわず、すっかり白けてしまったことを覚えている。

つまり、その、「主役への批判者」としての霧隠のイメージが、強調され過ぎていたせいか、真田ものに期待するところの、小気味の良い面白さ、というものが、あまり無かった。主役が誰なのか、幸村なのか、息子の大助なのか、猿飛、霧隠なのか、いま一つ判然としないように思えたし、ストーリー自体も平凡の感を免れないドラマ、との印象が、当時、子ども心にもあったわけだ。

ただし、もう一つ、印象に残っているのは、タイトルバックだ。これはOK。

騎馬武者の一隊が、野原を疾駆していく。その全体の様子を、斜め上方からの視点で、スローモーションによって写し見せていた。同時に、その騎馬隊が疾駆・躍動するスローモーション映像の動きに、合わせるかのように、「野に咲く花を 血に染めて 疾風の如く 騎馬がゆく 騎馬がゆく〜」と、主題歌が流れる。

このタイトルバックの構成は、かっこ良さを求める少年の心を、血湧き肉躍らせるものがあったことは、付け加えておきたい。

主な配役

真田幸村:高田浩吉、真田大助:千早健、猿飛佐助:江田島隆、霧隠才蔵:高田夕紀夫

2007年02月20日

少年向け 連続テレビ映画2

『織田信長』

(TBSテレビ・昭和37年11月〜38年10月まで)


少年期から青年期にかけての信長を描いたもの。

乱世鎮定、天下統一の大志を抱き、その実現のために生きる信長、という描き方で、このテーマ設定は、山岡荘八の小説に近いものがある。

少年期信長を演じた、伊藤敏孝という子役については、当時のテレビっ子たる筆者も知らなかった。強気・剛情・傲慢、そして奥深くに人情味を潜める信長の性格を、特徴的に強調する演技を、この俳優が、していて、見事なものがあった。

少年期は伊藤敏孝、青年期は、後年、同じTBSの『白馬の剣士』で人気急上昇した、林真一郎が演じた(二つとも、「東伸テレビ映画」の製作)。

歌い手は忘れたが、主題歌そのものは覚えている。

この俺に この俺に 情けはないと人は言う 命を賭けた一筋の 誓いは四海 波静か ああ たとえ その実は熟れずとも


という、短い歌であった。

この少年向け時代劇は、やはり午後6時台で、このあとが『高杉晋作』だった。

2007年02月19日

少年向け 連続テレビ映画

子どものころ、夕方の6時台に、NHKやTBS(のみではないが)などで、少年向けの連続ドラマを、よくやっていた(当時は、連続テレビ映画と言っていた)。そのうちのいくつかは、一部、記憶にも残っている。詳細を書くほどの記憶量はないが、わかるだけでも順次、メモしておこう。


『高杉晋作』(TBS)

どこかの山の麓に林立する樹木群。計画的な植林が、長年月を経て成長した結果の森林を、まとわり付くような靄(もや)の流れとともに、正面から間近に映し出していく。

これをタイトルバックに、キャスト名・スタッフ名や、主題歌が流れる。

宗方勝巳が高杉晋作を演じた。

いわずと知れた、幕末・長州藩の熱血児の軌跡を、少年向けドラマに仕立てた番組だったが、細部は忘れてしまった。しかし、井上聞多(馨)だか誰だかが、目茶苦茶に斬り刻まれて瀕死に陥った光景は、子ども心に、かなり残酷な印象として、今も脳裡に残っている。

三波春夫が、例の艶のある声で、主題歌を歌っていた。歌い出しのみ覚えている。

「六十余州を揺り動かして、菊を咲かせる〜。。。」

テレビドラマデータベース」で確かめると、昭和38年11月から39年8月までで、けっこう長くやったことがわかる。

そして、これの前は、『織田信長』だった。
ラベル:テレビ映画 昭和
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